2021.04.19

広島県安芸郡府中町にあるパワースポット!多家神社(埃宮)とは一体どんな神社?

広島の街

広島県安芸郡府中町宮の町にある「多家神社(たけじんじゃ)」は、1000年以上もの歴史がある日本屈指のパワースポットとご存じでしたか?厳島神社・速谷神社に並ぶ名神大社の一つで、初代天皇の神武天皇ゆかりの地としても知られています。

今回は、ここ、多家神社の神主である飯田さんにお話しを伺いました!

ご利益は別格!?名神大社「多家神社」

広島県の南西部に位置する町「安芸郡府中町」は、日本の町村の中で推計人口が一番多い場所。そんな府中町の宮の町にあるのが「多家神社(たけじんじゃ)」です。

今から1000年以上も前の延喜式(※現在の法律書のようなもの)によると、多家神社は広島県廿日市市にある速谷神社、厳島神社とともに安芸の国の名神大社の一つと記されています。

名神大社(みょうじんたいしゃ)とは?

古来における社格の一つで、格のある神社の中においても名神大社は全国に知られる別格の神社を意味します。つまり、多家神社は非常にご利益の効果が高い、日本屈指のパワースポットというわけです。

日本の歴史が盛りだくさん!多家神社のおはなし

主祭神
神武天皇・安芸津彦命

社格
式内社(名神大社)・安芸国総社


その昔、初代天皇の神武天皇(じんむてんのう)が神武東征の際、広島、つまり安芸国 (あきのくに)に7年間滞在されたという言い伝えがあります。その地が日本書紀では 「埃宮(えのみや)」、古事記では「多祁理宮(たけりのみや)」と記されており、現在の多家神社があるあたりと伝わっています。

戦国時代
時は戦国時代、それぞれの神社を管理していた武将たちが戦のために地を離れると、地域に残されていた神社仏閣は朽ちてしまい、どれがどの神社かわからなくなってしまいました。多家神社あるいは埃宮もその中の一つでした。

江戸時代

江戸時代に入ると、神社の前にある川を隔てて松崎八幡宮(南氏子)と総社(北氏子)に分かれていた氏子同士が、「わが方のお宮こそ多家神社であり埃宮(多祁理宮)である」と主張し合い、抗争対立はおよそ100年ほど続いたそうです。

およそ100年という長年の抗争の後、明治7年(1874年)に当時の浅野県知事の裁定によって現在の場所に創建されました。社殿は新築ではなく、広島城三の丸稲荷社の社殿が移築されました。それに伴って、前述の松崎八幡宮と総社は廃社となっています。

境内にあるスゴい歴史的建造物

多家神社は、下の境内に駐車場と社務所があり、中央には70段あまりの石段がそびえたっています。その階段を上ると上にはさらに広い境内が続きます。

※上の境内には車でも行くことができます。

神武天皇ゆかりの地「誰曽廼森(たれそのもり)」

神社の境内には神武天皇ゆかりの「誰曽廼森(たれそのもり)」が広がります。誰曽廼森(たれそのもり)とは、神武天皇がこの地に来られた際、当地の者に“曽 (そ)は誰(たれ)そ”(あなたは誰だ?)とお尋ねになったことからこの名がついたと言われています。

神主の飯田さんによると、飯田さんが幼少の頃はここ一面松林が生い茂っていたそうです。しかし、現在は森という感じではなく、木々は境内を囲うように生えています。

「松くい虫によってほんの数年でほとんどが枯れてしまいました。結果的に広々とした境内となり、人も車も入れるようになりました。今日の車社会には好都合となりました(笑)。」と飯田さん。

松くい虫の仕業もここまでくると芸術ものです!

神楽殿

境内に入ってすぐにあるのが平成7年に建て替えられた「神楽殿」。ここでは、春祭には地元の子供さんによる子供神楽や舞踊や楽器演奏などが行われます。

秋祭では北広島や安芸高田市の神楽団が来て、夜の20時から境内はたくさんの参拝者で賑わいを見せるそう。毎年、神楽団の方々も楽しくなって終了予定の23時を越えて演技が続くのだとか…なんとも楽しそうな風景が目に浮かびますね。

お子さんにとっては、目の前で神楽を見られるいい機会。多家神社でのお祭りは、地域の大人にとっても子どもにとっても大切な年間行事の一つになっています。

宝蔵

神楽殿の奥にあるのが、広島城内の三の丸稲荷社の社殿の一つ、校倉造(あぜくらづくり)の「宝蔵」です。広島城内の建物の現存物として貴重であり、広島県重要文化財に指定されています。

通常、校倉造は断面が二等辺三角形を加工した木が積み立てられますが、こちらは四角形を加工した六角形のものを使用されており、全国的に見ても唯一となっています。三の丸稲荷社の建物は嚴島神社の次に豪華だったとされます。

この建物の最大の特徴がヒノキの樹皮と竹釘を使って重ねて屋根をふく檜皮葺(ひわだふき)です。写真は実際に使われた檜皮で、屋根にはなんとこの檜皮と竹で作った竹釘のみが使用されています。

平成 28 年に行われた屋根の葺き替え工事では、檜の皮を数ミリ単位で屋根の木枠に数週間かけて葺きつけられました。多家神社では23年ぶりに美しく蘇った檜皮の屋根を一般公開したところ、2日間で700名の方が見学に来られたそうです。

こうした木材を組み上げる伝統技法が受け継がれた建築が見られるのも多家神社ならでは。

宝蔵の中にある木造の「御神輿」

今回は、飯田さんのご厚意で特別に宝蔵の中を見せていただきました。中を開けると木造の立派な神輿が!この神輿は、県内でも数少ない江戸時代の神輿として貴重なものだそうで、飯田さんもいつかは補修したいと考えられています。

拝殿

境内の中央にそびえたつのは、平成 2 年の修築時に増築された千鳥破風の「拝殿」です。賽銭箱の手前には神武天皇の建国をサポートしたとされる八咫烏(ヤタガラス)と金鵄 (キンシ)のお守りなど多家神社にまつわるお守りが並びます。

このお守り、ご利益には勝利開運があってまさに自らの人生を「取り」に行く「鳥のお守り」!といった感じでしょうか。どんな状況も「勝ちに行く」ことができそうです。神社にはほかにも2種類の御朱印があり、土日にはたくさんの女性が朝から晩まで来られるそうです。

本殿

拝殿の奥にある「本殿」は、大正11年に建設されました。社には、安芸の国で最もよくみられる神社建築の形式、三間社流造りが採用されています。明治政府が指定した制限図式を用いられているので、神社にしては非常にシンプルなデザインとなっていますが、流れるような切妻屋根は曲線美が美しく、見る角度によって表情を変えるようです。

本殿の周りは誰曽廼森の緑が美しく清々しい空気感が漂います。ここでは、日本ならではの伝統美を背景に、結婚式の前撮りをされる方も多くいらっしゃるそうです。

おもいで石

拝殿近くにあるこちらは身長計が彫られた「おもいで石」。地域住民の方がお宮参りや七五三などに来られた際、お子さまの成長を測られます。

「お宮参りに親子で来られるお父さんお母さん世代の方は、昔、小さい時にここへ来ていた方々です。代々世代をまたいで来ていただけるのは嬉しいです。」

最大180cm まで目盛りがあるのでお子さんの成長のみならず、自分自身の成長も感じれそうです。昔の思い出が蘇るようでいつでもほっこりできる場所ですね。

貴船神社

府中町には、“浜田”や“沖”など海が関連する名前の地名が数多く存在します。それもそのはず、この地域は昔、海だったそうで飯田さん曰く、「府中町は全面が海だったこともあり、この地域は水災が多く発生していたんです。町内には、今でも水害除けを祈願した神社がたくさんあるんですよ。」とのこと。

多家神社にある貴船神社もその一つで、ご神徳には水難除けのほか、運気隆昌・えんむすび・諸願成就などがあります。

多家神社から少し離れた場所にも、神武天皇が腰を掛けられて休んだとされる腰掛岩や顕彰碑など、ここではご紹介しきれなかった歴史的建造物がたくさんあります。気になる方は、是非一度実際に見に来てみてください!

多家神社のこれから

由緒正しき多家神社で現在、神主をされている飯田さん。今までの経験の中で一番記憶に残ることを伺うと、「令和」への改元の時だったそうです。

「正直、若い人たちは改元に関して何も気にしないと思っていました。でもフタを開けたらなんのその、5月1日は朝からお祝いにたくさんの方が来られてビックリしました。令和への改元時はそれはもうお祝いムード一色だったんです。」

多家神社には、朝から晩まで老若男女問わずたくさんの方々が参拝に訪れて「令和」と書かれた幟をバックに改元記念写真を撮られる等だったそうです。また、「天皇陛下御即位奉祝の御記帳」を行ったところ3日間で500名を越える方の記帳が集まったそうです。

「皆さんの姿を見て、自分たちが思っている以上に興味関心を持たれている方がいるんだと知っていろいろと学ばされましたね。」

平成から令和への改元は日本の歴史が動いた時でした。それは、私たちにとっても普段はあまり気にすることのない自分たちの国の歴史を振り返るきっかけとなったはずです。

歴史に学び、今につなげる

また、今後は地元の人や子どもたちにその歴史を伝えていきたいと言う飯田さん。

「私達の祖父母(現在の80歳後半以上)の世代は学校で古事記を習っていました。そのために、みんな知っていると思っていたわけです。しかし、残念ながら、古事記という書物の名前は知っていても、内容を読んだことがある人は今日では非常に少なくなっています。必然、初代天皇のことや自分の国の歴史を知らない人も多いです。神社の近くにある小学校は校歌に、“誰曽廼森”が出てきます。でも、そこがどこなのか知らない先生も多い。こんなに近いところにあるのに、地元の人が地元のことを知らないのは残念なことと思うんです。」

歴史を知ることは日本を知ること、日本を知ることは世界を知ることだと飯田さんの話を聞いて思いました。多家神社の長い歴史を引き継ぎ、神主として働かれる責任を、今後は伝道師として次の世代へバトンを渡していく飯田さんの今後の活動が楽しみです。

神社をお参りしてみよう!

今回の取材で筆者自身、広島や日本の歴史を改めて知ることができました。自分の知らない歴史は案外、身近にあるかもしれません。皆さんも今度のお休みは、日常の風景とは少し違う神社特有の落ち着いた雰囲気を感じてみてはいかがですか?

多家神社(埃宮)

住所:広島県安芸郡府中町宮の町3丁目1‐13
TEL:082-282-2427
駐車場あり
公式サイト:http://www.takejinja.net/